海女に向いているのはどんな人?仕事内容や収入、現在の活躍地域

海女は、NHKのドラマ「あまちゃん」で一躍話題になりました。伝統的な衣装を着て海に潜るイメージ以外、実際の仕事や給料などについてはあまり知られていません。そこで今回、具体的な仕事内容や生活の実情などを徹底解説します。

古代から続く日本の伝統的な職業「海女」とは

古代から続く日本の伝統的な職業「海女」とは

海女とは、海に潜って海草や貝などを採る女性の仕事です。日本では昔から女性がこの仕事を行なってきました。

ちなみに、男性の場合は「海士(あま)」と呼びます。

海女の歴史

海女の歴史はとても古く、海女のことを記した最古の記録はなんと3世紀末までさかのぼります。奈良時代の書物にも海女が登場し、万葉集には海女を詠んだ歌が82首もあることから、古代から海女がよく知られた存在だったことがわかります。

そんな日本の伝統的な仕事である海女の歴史についてまとめました。

海女の変遷

奈良時代から平安時代にかけて、海女はアワビなどの海産物を朝廷に税として納め、対価を得て生活していました。特に、現在の三重県にあった志摩国の海女が納めるアワビは都の人々の間でも有名だったようで、「枕草子」にもその様子が記述されています。

江戸時代になると、海女は浮世絵にも多く登場するようになり、喜多川歌麿や葛飾北斎などの有名な浮世絵師によって描かれた、人魚のような美しい姿の海女の絵が多く残されています。

明治に入ると仕事着や仕事道具が使いやすくなり、漁はより効率的に行われるようになりました。そして昭和期には、お土産用の絵葉書に海女の写真が用いられるなど、海女が地域の観光のシンボルになり始め、この頃に全国の海女の人数はピークを迎えました。

しかしその後、都会に出て働く女性が増えたことやライフスタイルの変化、資源の枯渇など、さまざま原因から海女の数は大幅に減少し、現在では海女の数はピーク時の約8分の1程度になったのです。

海女には伝統的な風習や言い伝えがある

長い歴史を持つ海女には、各地にさまざまな風習や言い伝えがあります。その中でも有名なのが、三重県の海女の仕事着にある星形の印と格子形の印です。

身一つで海に潜る海女の仕事には常に危険が伴うため、「セーマン」と呼ばれる星形の印には、一筆書きで元に戻る星形のように無事に戻ってこられるようにという願いが込められています。

また、格子型の印は「ドーマン」と呼ばれ、この印には多くの目を表しています。海女は水に潜っている時魔物に出くわすという言い伝えがあり、ドーマンは多くの目でこの魔物を見張り海女を守ると言われているのです。

「海女サミット」とは海女の伝統を守る取り組み

海女は世界でも日本と韓国の済州島にしかない伝統的な職業であり、2017年には「鳥羽・志摩の海女漁の技術」が国の重要無形民俗文化財に指定されるなど、その文化は近年注目を集めています。

しかし、現在では多くの地域で海女の高齢化・後継者不足が深刻になっています。そこで、海女漁業を振興し海女の文化を保存・継承するために2007年から一年に一度、「海女サミット」が開かれるようになりました。海女サミットには日本全国と韓国から海女が参加し、講演や座談会が行われています。

海女の現在

現在海女が活躍している地域

昭和31年の民間調査で17,600人もいた海女ですが、現在では約2,000人に減ってしまいました。しかし、現在でも全国18都道府県で海女が活躍しています。日本の三大海女地帯と言われているのは、三重県の志摩半島、千葉県の房総半島、石川県の能登・輪島です。

特に、志摩半島では全国の海女のうち半数にあたる約970人の海女が活躍し、海女文化の振興の中心になっています。

そのほか、北限の海女がいるNHKドラマ「あまちゃん」の舞台になった岩手県久慈市や、海藻やアワビなど四季折々の海産物が獲れる福井県坂井市、ウニで有名な長崎県壱岐市などで海女が活躍しています。

恵みの海とともに生きる海女の暮らし

古代から身体一つで海に潜ってきた海女は、どの時期にどの海産物が獲れるかという海のサイクルや海の生態系などをよく知っています。海の生態系のバランスや海産物の成長サイクルを傷つけることなく漁を続けるために様々な工夫をしてきたからこそ知り得たことです。

乱獲防ぐため、海女が漁をする回数や日数、時間が制限されているのもそれにつながっています。また、成長しきっていない小さな魚介類を採獲ることも禁止されています。

素潜りという原始的な形の海女の漁が古代からほとんど形を変えずに続けられてきたのは、海女の漁は乱獲が起こりにくく、海の資源を保護しながら行われてきたからだとされています。海女は一年を通じてその時期に獲れる海産物を適度に獲りながら、海と共存してきたのです。

海女の仕事って実際はどんなことをするの?

海女の仕事って実際はどんなことをするの?

海女の仕事は海に潜って貝類や海藻などの海産物を獲ることです。海女がとる獲物にはアワビやサザエなどの貝や、テングサやワカメなどの海藻の他、ウニや伊勢海老、ナマコがあります。また潜って漁をするだけでなく、ヒジキのように干潮時に水面からでる岩礁に生える海藻を採取する仕事もあります。

海女はいつでも漁に出ていいというわけではなく、それぞれの海産物に応じて一年の中で漁期が定められています。また、漁期であっても海が荒れて危険な日などは漁に出ることができず、漁に出られる「口開け日」はその地区の海女連盟などが決定します。

海女の伝統的な仕事の仕方には、海岸から自分で磯場まで泳いで漁をする「徒歩人(カチド)」と、男性とペアで舟に乗って漁場まで行き、男性が舟を操縦し女性が潜って漁をする「舟人(フナド)」の二種類があります。

一回の潜水時間は平均50秒ほどで、手に持てるだけの獲物をとって水面や舟に上がり、桶などに獲物を入れてまた潜ります。

この潜水を20~30回ほど繰り返した後、海岸に建てられた「海女小屋」で身体を温め休憩します。漁を終えた後は海産物を漁協に売りに行って一日の仕事は終わりです。

海女の仕事着や道具について

海女は昭和初期まで、まとめた髪に手拭いを巻き腰に布を巻きつけただけの姿で海に潜っていました。上半身になにも身に着けずに1月から海に潜水することも珍しくなく、厳しい寒さに耐えなければならなかったようですが、水の抵抗を受けにくいというメリットもありました。

海女の仕事が伝統的に女性のものとされてきたのは、女性は皮下脂肪が多いため男性よりも水の冷たさに耐えられるからだといわれています。

  • 【磯シャツ】
    上半身に何も身に着けずに潜るのは風紀上の問題があるという指摘を受け、海女が身に着けるようになりました。
  • 【磯メガネ】
    目にも何もつけずにそのままで海に潜っていたため目が真っ赤に腫れ上がったり、手探りで仕事をしてけがをしたりしていました。そのため、明治20年頃から水中用の眼鏡の開発が進みました。
  • 【磯ノミ】
    岩場にくっついているアワビを引きはがすための棒のことの差します。木製の柄のついたものや、かぎ型になっているものなど形はさまざまです。
  • 【磯桶】
    「徒歩人」を行う海女が獲物を入れるために持つ桶のことを指します。木製でしたが、最近ではより水に浮きやすい発泡スチロールでできたものが主流です。漁の途中で海女が水上に上がって、呼吸を整えるときにつかまるためにも用いられます。
  • 【スカリ】
    獲ったアワビやサザエ、ウニなどを入れる袋のことを指します。網目状になっているので獲物を海水につけたまま、より新鮮な状態で海岸まで運ぶこができます。

乱獲を防ぐためにウェットスーツや磯メガネの着用が規制されることも

昭和40年代初期には磯シャツに代わってウェットスーツが導入され、身体が冷えにくくなって長時間潜水することが可能になりました。また、磯メガネを着けて潜ることで海の中でもよく見えるようになり、海女の漁の効率は飛躍的に上昇したのです。

しかし、乱獲を防ぐために一部の地域ではウェットスーツの着用が禁止されたり、一家に一着と定められたり、潜水時間が制限されたりと規制がかけられました。磯メガネの着用にも当初制限がかけられることがあったようです。

海女の給料はどのくらい?

海女の給料は、基本的に「獲れた分だけ」ということになり、漁獲量や獲物の質などによって給料は様々です。アワビを3個獲ると約10,000円で売れるため、夏に15日ほど潜って100万円の収入を得る場合もあれば、漁獲量の低下のため月50,000円程度の稼ぎしかないという場合もあります。

ただし、最近では海資源が大幅に減少し、多くの場合海女の仕事だけで生活していくことは難しいのが現状のようです。

海女になるにはどうすればいい?

海女になるにはどうすればいい?

後継者不足が深刻な海女

昔から海女が漁を行なってきた地域では、伝統的に大多数の女性が母親の仕事を受け継いできました。しかし、海女の仕事は体力的にとてもハードで安定した収入も得られないため、最近では他の仕事に就く女性が多く、深刻な後継者不足の状態です。

海女になるには漁業権の取得が必要!

海女がいる地域に生まれた女性で仕事を継ぐ人は少なくなっていますが、中にはほかの地域から海女になることを志願してやってくる人もいます。

この場合、大変なのが漁業権の取得です。日本では、一般の人が無断で漁をすることは禁止されており、漁を行なうためにはその地域の漁業協同組合の組合員になり漁業権を取得しなければなりません。

漁業協同組合の一員になると、海女として漁を行うだけでなく地域の行事や海女小屋の管理などにも参加することになります。そのため、漁業権をもらうためにはその地域で実際に生活をして地域社会に参加していることが必要になるのです。

ほかの地域から海女になるために移住してきた人が漁業権を認めてもらうためには、その地域で1年以上は生活し現地の人々と人間関係を築かなければ取得は厳しいでしょう。

「見習い海女」受け入れプロジェクトに参加してみよう!

海女のいない地域で育った人が海女になるのは簡単なことではありません。しかし最近では、海女の後継者不足に悩む各地の自治体で海女を目指す女性を受け入れるプロジェクトが行われています。

三重県鳥羽市

三重県鳥羽市では、都市部に住む20~30代の人を対象に「地域おこし協力隊」の隊員を募集しています。鳥羽市に移住し、鳥羽市国崎町の漁業や水産加工の技術を学びながら地域の活性化に取り組む活動をしていきます。隊員になった人が学ぶ漁業や水産加工の技術は様々ありますが、海女を目指すこともできます。

参考サイト:海女文化を活かした活性化構想計画|鳥羽市

徳島県美波町伊座利

徳島県美波町にある伊座利は、人口100人ほどの小さな漁村で、その住民の約半数が全国各地からの移住者というユニークな地域です。住民はほぼ全員が漁業関係者で、海女もいます。

伊座利では海女さん体験のイベントを実施し、体験後に移住して海女になることを希望する参加者には就業を支援するという取り組みを行っています。海女の仕事に興味がある人は応募してみてはいかがでしょうか。

参考サイト:いざり人 – 伊座利を知りたい人のためのガイドサイト

海女になるのに向いているのはどんな人?

海女はとても体力と根気のいる仕事です。海女になるのに向いているのは、健康で海女の仕事に対して意欲的な人でしょう。また、海に潜り続ける仕事なので、何よりもまず、海が好きな人が向いていると言えます。

海女に一番大切なことは海が好きなこと

海女になるために何よりも大切なのことは、海が好きなことです。都会での暮らしはとても便利で快適ですが、地域社会の中で海とともに生きる伝統的な海女の暮らしには、都会での生活にはない魅力があります。

ただし、海女の技術を身に着けるには時間がかかりますし、決して楽な仕事ではありません。海女の仕事だけでは生計をたてられないことも多いというのが現実です。それでも、海女の仕事はやりがいがあり、地域社会の活性化や伝統文化の継承に貢献することもできます。

興味のある方はぜひ、海女の後継者を募集している地域について調べ、応募してみてはいかがでしょうか。

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